プロフィール

離婚調停体験談⑥

離婚
スポンサーリンク

離婚調停体験談⑥

離婚調停は月に1回。平日に行われる。
1,200円の印紙代と相手に郵送するための切手代。
とりあえずはこの金額で申し立てができる。

私の場合は、申し立てた私が実家のある長野から旦那のいる関西へ毎月通う。
それがルール。
いる場所が近ければいいけれど、距離が離れれば離れるほど労力はかかる。
しかも私の場合は、離婚成立まで1年近くかかった。

調停を申し立てる前に法テラスの無料の弁護士相談に行った。

地域の弁護士の名前の一覧表を渡されたけれどここから先は自分で選ぶしかない。
離婚だし女性の弁護士さんがいいな。

場所もわかりやすい女性弁護士の法律事務所に行った。
初めての弁護士相談。
私のイメージでは、ものすごく親身になって話を聞いてくれ、私の不安を一掃するようなアドバイスをくれるのだろう。
弁護士相談とはそういうものだと勝手に信じ込んでいた。

結論から話すと、全くこちらの気持ちに寄り添ってはもらえなかった。
弁護士であっても人間なのだ。
相性がある。

相談したらきっと希望が見える。
そんな期待は儚くも破れ、そりゃそうだよなと気づいた。

世間知らずな当時30歳の私。
今となっては良い経験をしたと思っている。

別の弁護士さんに相談してみよう。
一覧表から勘で選んだ弁護士さんと話したけど、フィーリングの合わなさを感じ、モヤモヤしながら帰ることになった。

そんな中、たまたま地元で長く営業をしている方といろいろ話す機会があった。
概要を相談したところ、ある弁護士さんを紹介してくれた。

三度目の正直とはこのこと。

的確で親身。
希望と勇気をいただいた。

この弁護士さんにお願いしたい。
強く思ったけれど、分割にしたとしてもお金を支払える目処が難しくて
とりあえずは、自分で調停をしてみることにした。

周りの離婚経験者の話を聞いても、弁護士さんが入ると早い。

お金がないという不自由さを実感した。

あんなに離婚したがっていたのに離婚してくれない旦那

別居するまでは喧嘩が絶えなかった。
旦那は口を開けば離婚したいと言っていた。

調停をするのは養育費の取り決めをするだけ。
離婚はすぐにするだろうと思っていたし、調停も数回で終わるだろうと思い込んでいた。

それなのに、いざ調停となると、旦那が別れてくれない。

こちらとしては、長野県から旦那のいる関西に毎月1度、往復する交通費もきつかった。

何度となく通っても思うように進まない話。

養育費の金額を決める暫定表というものがあるのだが、
割と年収の高い旦那からの養育費の金額はそれなりだった。

何度目かの調停の時、旦那が、養育費3万円なら離婚を考えてもいいと言ったようだ。

待合室に私を呼びに来た調停員さんが息を切らして言った。


「この金額で妥協したらどう?お金はまた稼げるから!離婚したらあなたはまだ頑張れる!」

財産分与を話し合っていた預金があった。

この調停の前に旦那は全額を使い、謎にでかい外車みたいなのを買っていた。

調停員さんから聞いた時、相手の条件を飲んでもいいから今すぐ別れたいと思った。
娘の名義の銀行の通帳だった。
もう一瞬たりともこの人の妻という立場でいたくない。

調停員さんも、もう早く別れたほうがいいと。
養育費3万円なら別れると言った今を見逃すな、と。

私は、わかりました。
別れられるならその条件でいいですと言った。

あれは1月だったな。

最後、離婚調停が成立する時だけは、旦那と一緒に部屋に入らなければならない。
正面に2人の調停員さん。
テーブルを挟んで私たちが向かい合う。
旦那との間には、家庭裁判所の方が座ってくれた。

離婚成立の証書を読み上げてもらう。

財産分与も何もなかったけれど、調停員さんのはからいで、調停に通った費用ということで100万円を私に支払うようにと文書に入れてくれた。


久しぶりに見た旦那の横顔。
ちらりとしか見なかったけど、随分と疲れていた。

一生を共に生きようと願った相手との感情のぶつけ合い。

この経験が私に与えてくれた気づきは大きい。

帰り道、見上げた空を忘れない

家庭裁判所を出た。
この時、気持ちは晴れ渡っていた。

不安やこれからのことは頭にはなくて、人質が開放されたときはこんな気持ちなのだろうと想像した。

目の前は駅。

これから夜行バスで長野県まで帰る。

考えたらうんざりするような旅路だけど足取りは軽かった。

いつ以来だろう。
世界はなんて色鮮やかなのだろう!と思った。

音も色もない世界から抜け出せたのかもしれない。

見上げた空の夕焼けがとても美しかった。

コメント